@article{oai:rekihaku.repo.nii.ac.jp:00001709, author = {東, 潮 and Azuma, Ushio}, journal = {国立歴史民俗博物館研究報告, Bulletin of the National Museum of Japanese History}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 『三国志』東夷伝の冒頭に,『尚書』禹貢篇や『周礼』の九服の制について明記されている。魏はそうした天下観にもとづき,公孫氏を討伐し,楽浪・帯方郡を支配した。さらに高句麗を討伐し,東海の地まで征服した。その恩恵で東夷諸国について記述でき,夷狄の国に礼のあることが知られるようになったという。東夷諸国とその都の位置関係,里程,境域を検討し,倭人伝もふくめ東夷伝が天下観にもとづき記載されていることに着目した。倭人伝は洛陽-楽浪の五千里の禹貢の五服説,帯方郡から邪馬台国までの万二千里は『周礼』の九服説による。京師からの地理観を郡治から距離観におきかえる小天下観にもとづき記述されていた。そのいっぽう東夷諸国の境域を遺跡・遺物の特徴型式の分布圏からとらえた。韓条の弁辰の「取鉄」,倭人条の「南北市糴」,「黄幢」についての解釈をあらためて提示した。倭国王都の邪馬台国の境域を想定し,そのなかに倭国王系列と在地の邪馬台国王系列の墓のあることを指摘した。魏と倭は親魏倭王の称号,金印・銀印紫綬,黄幢の授受によって,朝貢関係とともに軍事的同盟関係にあった。いわゆる魏志倭人伝を,三国・公孫氏(燕)と東夷諸国との国際関係のなかで位置づけることにあった。, The Cultural Environment in the Dongyizhuan in the Sanguozhi}, pages = {7--62}, title = {『三国志』東夷伝の文化環境}, volume = {151}, year = {2009}, yomi = {アズマ, ウシオ} }