@article{oai:rekihaku.repo.nii.ac.jp:00002373, author = {中村, 治 and Nakamura, Osamu}, journal = {国立歴史民俗博物館研究報告, Bulletin of the National Museum of Japanese History}, month = {Feb}, note = {application/pdf, 京都北郊における盆の行事は,一族の者が8月7日前後の墓まいりの日に集まる傾向が強かった地域と,盆に集まる傾向が強かった地域が見られるなど,各地域,さらには各家庭で少しずつ異なっていた。一族の者が墓まいりの日に集まる傾向が強かったのは,かつて農村としての性格が強かった地域であり,墓まいりが田仕事の慰労会の意味を持っていたと考えられる。 精霊を接待する期間には長短が見られ,14日だけ接待して,15日早朝に精霊を送ってしまうところも多く見られる。精霊を送るのは16日でも,接待を終えるのは15日というところも見られる。16日まで接待をせずに精霊を送ってしまうのは,若嫁が実家へ「やぶ入り」あるいは「洗濯」と称して帰るのをできるだけ妨げないようにという配慮によってであった場合が見られる。 盆踊りは,京都市左京区市原野のハモハ踊り,松ヶ崎の題目踊り,北区西賀茂の六斎念仏などのように,先祖の霊を歓待し,慰め,送るために,村という共同体によって行われた行事であった。しかし戦前には盆踊りはたいてい江州音頭にあわせて踊られるようになり,踊る時期に関しては,精霊を送ってからという場合が多く見られるようになっていた。それは,盆が先祖の霊をまつるための期間であるともに,この世にいる人たちの楽しみの期間でもあったからであろう。 地蔵盆は,京都北郊では念仏講と呼ばれる講の人たちが中心となって行った行事であり,大念仏数珠繰り,ご詠歌詠唱が行われていたが,京都の町中では,戦前には子どもを楽しませる行事となっており,京都北郊では昭和30年代~昭和40年代に子ども中心の行事になっていった。 地域社会の消失・核家族化が進んだ最近では,盆の行事はかつてのにぎわいを失っている。そして現代の人は盆の行事をしようと思っても,何をしてよいのかわからなくなり,六道珍皇寺などで教えられる通りに行事を行うようになり,地域の特徴が失われつつある。}, pages = {409--425}, title = {[調査研究活動報告] 京都北郊の盆の行事}, volume = {207}, year = {2018}, yomi = {ナカムラ, オサム} }